「犯罪者が悪い」は詭弁である

 直近のニュースの内容によっては(というより基本的には)、タイトルのようなことを言い出すと犯罪者擁護だと非難されそうですが、ちょうどいい具合に一般的な感覚とはずれた使い方をする人が出てきたのでこの機会に投稿してしまいます。

 状況の説明としてスポーツ報知の記事を引用します。

藤川は12日にX(旧ツイッター)で「この服でも私は電車に乗るタイプです」とつづり、肩や腕を見せた薄手のドレス姿で電車に乗る姿をアップ。この投稿に「なんかやめといたほうがいいと思う 犯罪にあってからじゃ遅い」との声が寄せられると、藤川は「昔から思うけど私がどんな服着てても、そんな服着てる方が悪いって風潮いつになったら終わるの?笑 普通に犯罪者が10000万%悪いし 私が犯罪者のために好きな服着る気持ち制限するの、なぁぜなぁぜ?」と反論し、反響を呼んでいた。

「股下85センチ」で話題の20歳・藤川らるむ、電車内で服装批判に反論「犯罪者が10000万%悪い」 : スポーツ報知

 私の見解としては、「(薄手の)服着てる方が(痴漢よりも)悪い」とは思いませんが、「(薄手の)服着てる方のは悪い」と思います。

 犯罪の話が出てくると犯罪者と被害者の比較がどうこう言い出す人が多々いますが、タイトルに挙げたようにこういうのは詭弁だと思います。比較というのは、AさんとBさんを比較しても意味がないのです。一般に、比較して意味があるのは、自分の行動Aと自分の行動Bのどちらが自分にとって良いかどうかという場合です。「商品Aと商品Bのどちらを買うべきか」という比較は意味がありますが、「犯罪者と被害者のどちらが悪いか」は比較する意味がありません。「犯罪者の方が悪いから犯罪をやめよう」みたいなことを言ったところで実際に犯罪がなくなったりしないからです。

 犯罪に関して意味のある比較はどういうものかというと、たとえば「家の鍵をかけ忘れたかどうか確認に戻らなくても良いかどうか」などです。確認に戻るとそれだけ時間を費やしますが、失う時間と空き巣に入られるリスクを比較するわけです。他に、「危険な場所を通過しても問題ないか、迂回するべきか」とか「ストーカー被害を警察に訴えても取り合ってくれないから何も対策しないのか、民間の警備会社に依頼するべきか」とか「電車で見かけた変な奴と距離をとるべきか」などです。

 いずれにしても、あくまで比較するのは自分の行動AとBです。リスクを見誤って犯罪に遭うのはリスクを見誤った自分が悪いということです。犯罪者が悪いという結論にしたところで、それで自分が犯罪に遭わなくて済むということはありません。「犯罪に遭うリスクなんて一般の人に分かるわけないだろ」みたいなことを言い出す人もいそうですが、そう主張したところで自分が犯罪に遭わなくて済むということはありません。「分からないから考えないようにした」「他人に文句を言うだけ言ってそれ以外は何もしない」というのも1つの判断です。

 さて、この記事はこんなタイトルですが、犯罪者と被害者の比較がどうこういう主張について『「犯罪者が悪い」は詭弁である』と言っているに過ぎません。防犯よりも好きな服を着ることを重要視すること自体を否定する気はありません。藤川さんの場合、これはこれで当人がこういう判断をしたということだと思います。